ダンプ松本さんといえば、1980年代の女子プロレス界を席巻した「極悪女王」として有名ですよね。
その過激なパフォーマンスと独特のキャラクターは、当時のファンを熱狂させました。
そんな、ダンプ松本さんのWikiプロフィールから学歴、高校・大学時代のエピソード、そして波乱万丈な経歴までを詳深堀りしてみたいと思います。
また、彼女の「極悪同盟」とクラッシュギャルズとの激闘、引退後の復帰エピソード、さらには現在の活動までを見てみたいと思いますのでご覧ください。
ダンプ松本のWikiプロフィール!
項目 | ダンプ松本 |
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本名 | 松本 香(まつもと かおる) |
生年月日 | 1960年11月11日 |
出身地 | 埼玉県熊谷市 |
身長 | 164cm |
体重 | 100kg |
所属事務所 | えりオフィス |
デビュー | 1980年8月8日 |
趣味 | パチンコ、アーチェリー |
ダンプ松本さん、本名は松本香(まつもと かおる)さん。
埼玉県熊谷市出身で、1960年11月11日生まれです。
身長164cm、体重100kgと、女子プロレスラーとしては迫力満点の体格ですよね。
1980年8月8日にプロレスラーとしてデビューし、その後はタレントや女優としても大活躍中。
リング上では「極悪女王」として恐れられる存在ですが、実は涙もろい優しい一面も持っているんです。
リングネームの由来!
「ダンプ松本」というリングネーム、実は観客の一言がきっかけなんですよ。
デビュー当時、本名で試合していた彼女を見た観客が
って叫んだのが始まり。
その一言を気に入った彼女は、そのままリングネームに採用したというわけなんです。
ヒールキャラとして人気を博した彼女ですが、裏ではファンを大切に思っていたのがまた素敵ですよね。
「極悪女王」と呼ばれる理由とは
ダンプ松本さんが「極悪女王」と呼ばれる理由は、その過激なパフォーマンスにあります。
試合中はチェーンや竹刀を振り回し、対戦相手を容赦なく攻撃!本当にド迫力。
でも、そのスタイルがファンを魅了し、女子プロレスブームの火付け役となったんですよね。
かわいい顔をされていますね。
リングを降りると、意外と優しい性格なのがギャップ萌えかもしれません。
現在の活動内容について
今でも現役で活動を続けるダンプ松本さん。プロレスのリングだけでなく、タレントとしても大活躍中。
後輩の育成にも力を入れていて、女子プロレスの未来を支えています。
自主興行「極悪血祭り」は毎回大人気で、多くのファンが集まるんですよ。
「またプロレス界を盛り上げたい!」という彼女の情熱が、伝わってきますよね。
ダンプ松本の学歴:高校から大学まで
では、ダンプ松本さんの学歴を見てみましょう。
出身高校は埼玉県の名門・大宮開成高校!
ダンプ松本さんの出身高校は、私立の
大宮開成高校
です。
大宮開成高校の偏差値は64~67と高いものとなっています。
中学時代はバスケ部と水泳部に所属し、高校ではアーチェリー部に入部。
高校1年と2年生の時には、アーチェリーでインターハイにまで出場した実力者だったんですよ。
そのスポーツ経験が、後のプロレスラーとしての活躍に繋がったんでしょうね。
高校時代のアーチェリー経験
高校時代にアーチェリーでインターハイ出場というのは、すごいですよね。
アーチェリーの腕前は相当なもので、補欠とはいえ全国大会に出場したんです。
この経験が、彼女の負けん気の強さを育てたのかもしれません。
まさに「スポーツ万能」と言える経歴ですね。
大学進学はしていない!
ダンプ松本さんは、
大学進学を考える暇もなく、プロレスの世界に飛び込んだといいます。
彼女にとっては、プロレスがそれほど魅力的だったんでしょうね。
「夢を追いかけたい!」という熱い思いが伝わってきますよね。
ダンプ松本の波乱万丈な経歴
では、ダンプ松本さんの経歴を見てみましょう。
全日本女子プロレスでのデビュー秘話
ダンプ松本さんのデビューは、全日本女子プロレスでのこと。
当初は本名でのデビューでしたが、すぐに「ダンプ松本」のリングネームに変更しました。
デビューから数年間は、下積みの時代が続いたそうです。
しかし、持ち前の根性で一気にトップレスラーに上り詰めました。
クレーン・ユウと結成した「極悪同盟」
1984年にクレーン・ユウと共に結成した「極悪同盟」。
このタッグは、女子プロレス界に新たな風を吹き込みました。
ヒールとしての徹底した演技で、観客を煽りまくり、試合は毎回大盛り上がり!
「極悪同盟」は、今でも伝説として語り継がれています。
クラッシュギャルズとの抗争エピソード
ダンプ松本さんと言えば、「クラッシュギャルズ」との熾烈な抗争が有名ですよね。
ライオネス飛鳥さんや長与千種さんとの対決は、1980年代の女子プロレスブームを牽引しました。
その中でも、特に話題となったのが「敗者髪切りデスマッチ」。
勝った者だけが髪を守れるというルールは、ファンの注目を集めました。
試合後にはファンが暴徒化し、選手バスが取り囲まれる騒ぎにまで発展!
ダンプさん自身も「殺されるかと思った」と語るほどの大混乱だったそうです。
敗者髪切りマッチの衝撃的な結末
1985年に大阪城ホールで行われた「敗者髪切りデスマッチ」。
これはダンプ松本さんと長与千種さんの因縁の対決でした。
試合中はお互いに一歩も引かず、会場は熱狂の渦に包まれました。
試合後、ダンプさんが長与さんの髪を切るシーンは、ファンの記憶に鮮明に刻まれています。
この試合は、女子プロレス史に残る名勝負として語り継がれているんですよ。
1988年の引退とその後の復帰
1988年、ダンプ松本さんは全日本女子プロレスから突然の引退を発表。
引退試合では、リング上でファンに向かって謝罪のマイクパフォーマンスを披露し、多くのファンが涙しました。
そしてクラッシュギャルズのファンには、
「今までチーちゃん(長与)と智ちゃん(飛鳥)をイジメてすいませんでした」
とガラにもなく謝罪したと本人が語っています。
しかし、プロレスへの情熱は消えず、2003年には「極悪倶楽部」を結成し、復帰を果たしました。
現在も自主興行や後輩レスラーの指導を行いながら、精力的に活動しています。
タレント・女優としての活動
プロレス引退後、ダンプ松本さんはタレントや女優としても活躍を始めました。
テレビドラマやバラエティ番組に出演し、そのユニークなキャラクターでお茶の間の人気者に。
特に、過去のプロレスエピソードをユーモアを交えて話す姿が、多くのファンに愛されています。
その明るい性格と人情味あふれる人柄が、彼女をさらに魅力的な存在にしているんですよ。
ドラマ「極悪女王」のモデルとなった背景
2024年9月からNetflixで配信されているドラマ
にしています。
プロレスラーとしての華やかな成功と、その裏に隠された苦労がリアルに描かれています。
ヒールキャラとしての成功、そしてその裏で抱えた葛藤が、視聴者の共感を呼んでいるんですよ。
ドラマを通じて、彼女の新たなファンも増え続けているそうです。
ダンプ松本のヒールキャラクターに込められた思い
悪役レスラーとしてのプロ意識
ダンプ松本さんは、ヒールレスラーとしての徹底したプロ意識を持っていました。
「リングの上では本気で憎まれる覚悟で戦う」というスタンスで、ファンを徹底的に煽りました。
それでも
あったんです。
このギャップが彼女の人気をさらに高め、女子プロレス界に多くの影響を与えました。
ファンとの過激なエピソード
全盛期のダンプ松本さんは、ファンからの嫌がらせも多かったとか。
実家の玄関先に張り紙をされたり、車を傷つけられたりと、過激なアンチ行為が絶えなかったそうです。
それでも彼女はプロレスラーとしての役割を全うし、
このようなエピソードも、彼女のファンへの深い愛情が感じられますよね。
かつてのアンチからの攻撃の数々
プロレスラーとしてのダンプ松本さんは、当時「日本で一番殺したい人間」とまで言われるほど憎まれていました。
そのため、
- タクシーの乗車拒否
- 飲食店での入店拒否
など、さまざまな嫌がらせを受けたそうです。
しかし、彼女はそれすらもプロレスの一部として受け入れ、「私がヒールをやるからこそ、ベビーフェイスが輝ける」と語っています。
まさにプロフェッショナルですよね。
ダンプ松本のwiki経歴・学歴(出身高校・大学)!波乱万丈なプロレス人生!まとめ!
ダンプ松本さんは、女子プロレス界を牽引した伝説のヒールレスラー。
「極悪同盟」を結成し、クラッシュギャルズとの激闘で女子プロレスブームを巻き起こしました。
引退後もタレントや女優として活躍し、多くのファンに愛され続けています。
また、2024年には彼女の半生を描いたNetflixドラマ『極悪女王』が配信され、再び注目を集めました。
現在も現役で活動中のダンプ松本さん、これからの活躍にも期待が高まりますね!
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